2013 年 7 月 のアーカイブ

第66回全国高等学校バスケットボール選手権大会

CAMERA, JJ | by JJ 2013年7月31日

バスケのインターハイベスト8が決まる試合を取材してきました。写真は福大大濠8番の選手(U-16日本代表メンバー)。

福大大濠8番の選手(U-16日本代表)

福大大濠8番の選手(U-16日本代表)

U-16の選手でも控えなんだなぁと思いながらこの日一番の盛り上がりを見せた、福岡大学附属大濠(福岡) vs 帝京長岡(新潟)の試合を撮影。大濠13番の選手が神がかり的なシュートを連発して決め、結果77-71で大濠の勝利でしたが本当にすばらしい白熱した試合でした。
室内での撮影は思ったより暗く、F2.8のレンズであってもISOを1,000〜に上げないとシャッタースピードがかせげず、上位機種のカメラではないので、ノイズをとるか動きの無いシーンをとるかになってしまい苦戦しましたw  「いやいや、腕が悪いのでしょう」との突っ込みが世の中のカメラマンより来そうなので・・・、ここで“ぼやき”はおしまーい!

同じ九州なのに・・・

CAMERA, JJ | by JJ 2013年7月30日

先日、飛びっちょ勘太郎より横やりが・・・「この前のかぼすの投稿は“かぼす”の紹介をしとるだけで、カメブロじゃなくても良いんじゃなかとね?」と飛びっちょ勘太郎。標準語・大分弁・関西弁を使い分けるJJにとっても、まだまだ熊本弁に関しては解析途中なので、正しく発言の一言一句が表記出来ているか甚だ疑問だが、飛びっちょ勘太郎の指摘も一理ありなので、当時の撮影状況を少々w
当時、大分の特産物である“かぼす”を活かした「THE・おおいた」ブランドロゴ県内1号になった商品を開発された和菓子屋さんに取材で行った際に、途中のスーパーで“かぼす”を購入し撮影したものでした。
カメラはもちろん、愛機 Canon IMAGE MONSTER EOS 7D
レンズはカメブロ初登場の、Canon EF28mm F1.8 USM

Canon EF28mm F1.8 USM

Canon EF28mm F1.8 USM

本来であればマクロの100mmぐらいで撮りたかったのだが、そのようなレンズはないので、単焦点で当時よく使っていたレンズで撮ったものだった。当然、撮影の後は試食w 甘いものが大好きなJJの顔が緩んでしまっていたのは言うまでもない。(^^)
しかし、同じ九州なのに色々と方言があって面白いですね!

カメラマン勘太郎の復活②

| by 飛びっちょ勘太郎 2013年7月29日

この燃えるような後光によって正常な判断力を失ってしまった私は、すでに、「とにかくこのカメラを買う」モードに突入しきっていた。その時私に残されていたのは「少しでも値切る」という、生まれついての本能だけであった。本人はよく覚えていないが、その日連れていた九産大出身の新人君の証言によると、「ああ言えば、こう言う」ヨドバシの店員さんを相手に、カメラの知識もないくせに、粘りに粘って、まるで何者かに取り憑かれたような形相で値切っていたらしい。私が言うことの半分以上は、訳の分からぬことであったらしいが、「このカメラが欲しい」「少しでも安く」「何ならただでもいい」という熱意だけは、この結末を見届けようと取り囲んでいた周囲の皆さん方にも充分伝わっていたらしい。交渉を始めて一時間弱、私としては相当不満も残りはしたが、こちらが折れに折れて?無事交渉はまとまり、私は、十数年ぶりに愛機を手にした。いくらで買ったかは、よく覚えていないが、ケース、ストラップ、ストロボを付けてもらって、3万ちょい払ったような気が・・・。「カメラマン勘太郎の復活」であった。3代目の愛機は、「三つ子の魂、百まで」の教え通り、やはりリコーの製品だった。

レンズはリケノン35m f2.8 蓋を開けるとレンズが飛び出す、ミノックス35型と同じ感動的メカニズム。

レンズはリケノン35m f2.8 蓋を開けるとレンズが飛び出す、ミノックス35型と同じ感動的メカニズム。

収納時はフラットに。携帯電話と比べてもこの通り、当時としては超コンパクト&超軽量

収納時はフラットに。携帯電話と比べてもこの通り、当時としては超コンパクト&超軽量

大分の特産「かぼす」

| by JJ 2013年7月22日

いきなりですが・・・、皆様は「大分と言えば◯◯◯」の◯◯◯に入る単語は何を思い浮かべるでしょうか?いくつかあると思うのですが、その中のひとつが「かぼす」です。(^^)

大分特産「かぼす」

大分特産「かぼす」

焼き魚に、焼酎に、サラダに・・・。色々とありますが、「すだち」のように上品すぎず、適度な酸味が意外と何にでもあう「かぼす」です。

カメラマン勘太郎の復活①

| by 飛びっちょ勘太郎 2013年7月18日

勤めに出て2年半程経った頃、その頃私は都内某印刷会社の寮にいたが、先輩を差し置いて、すでにその寮のボスの座に納まっていた。ふと、出世した自分の姿を田舎のお袋に見せてあげたい衝動に駆られた。考えてみれば、高校を卒業し、学生時代を含めた6年間の写真と言えば、クラブの合宿風景以外は皆無であった。

学生時代の写真と言えばこの類いのものしかない

学生時代の写真と言えばこの類いのものしかない

東京でのこの「栄光の日々?」は、ぜひとも記録に残しておきたい。小学生の頃見た、高崎山のボス猿の写真が脳裏を過った。「カメラを買おう」生まれて初めてそう思った。ボーナスを待ちきれず、貯蓄を一部取り崩し、師走の雑踏の中、その頃よくTVのCMで見て知っていた「ヨドバシカメラ」へ行った。その頃の自分の趣味と言えば「読書と貯蓄と親孝行」であったため、給料は安くとも貯金は沢山あった。しかし、10年以上カメラから遠ざかっていたし、何せ自分でカメラを買うのも初めてなので、大いに不安であった。丁度その年の4月に、福岡の九州産業大学写真学科を卒業して入寮してきた新人がいたので、これ幸いと、ボスの地位を大いに利用して、強制的にそいつをヨドバシに連れて行った。「ピント合わせ不要で、自動巻き上げ、予算4万円以内」。これがその新人に課した条件であった。当時発売されたばかりの、キヤノンの「オートボーイ」なる製品が人気だったらしく、そいつはよく吟味もしないで、いきなりそれを薦めた。しかし今になってよく考えてみると、確かにオートボーイは、自分が出した条件「ピント合わせ不要で、自動巻き上げ、予算4万円以内」にぴったりで、彼は実にいい仕事をしていたのであった。が、なぜかオートボーイは気に入らなかった。「定価4万円越え」と、「当時結構人気=みんな持っている」の2点に加え、おそらく無骨なデザインが気に入らなかったのではないかと思うのだが、本当のところよく覚えていない。

残念ながら購入に至らなかったキヤノン オートボーイ

残念ながら購入に至らなかったキヤノン オートボーイ

あれこれ談合していると、見かねた店員さんがリコーの製品を薦めてくれた。小学生の頃の愛機「リコーオートハーフS」により、「技術のリコー」として私の胸に深く刻まれた、あの「リコー」の商品であった。見せられた瞬間から、すでにカメラには後光が差していた。(つづく)

ヨドバシの店員さんが差出したリコーのカメラには燃えるような後光が差していた

ヨドバシの店員さんが差出したリコーのカメラには燃えるような後光が差していた

空白の10年

| by 飛びっちょ勘太郎 2013年7月14日

リコーオートハーフを買ってもらってから一段と写真熱は燃え上がり、四六時中カメラを持ち歩き、何かにつけて撮影した。しかし今思い出しても、お世辞にも良い写真と言えるものはなかった。「一体何を考えて撮っていたのか?」おそらく何も考えてはいなかった。多分、「何かが写っている」「自分に撮れた」というだけで嬉しかったのだろう。

何を撮ろうとしていたのか

何を撮ろうとしていたのか

小学校6年生も終わりに近づいた頃、ひょんなことから自宅で伝書鳩を飼うことになった。そのうちに、朝に夕に伝書鳩の世話をすることとなる。中学に進むと、クラブ活動で毎日扱かれた。カメラのことはすっかり忘れた。普通に考えると、飼っている伝書鳩を写真に撮るとか考えそうなものだが、そういう気持ちに全くならない(なれない?)のが私の最大の弱点である。中学から大学を卒業するまでの10年、正確に言うと、勤めに出てからの2年を加えた12年間、全く写真を撮らない日が続いた。カメラにもあまり興味を示さなくなっていた。

悪い従兄に苛め抜かれる弟の姿を冷酷にも平然と撮り続けた勘太郎の報道カメラマン魂

悪い従兄に苛め抜かれる弟の姿を冷酷にも平然と撮り続けた勘太郎の報道カメラマン魂

(本当は、写真部の連中が写真を撮ったり、現像したりしているのを見ると、つい話に加わりたくて、部室に遊びに行ったりしていたのだが)当時「文化部の連中=軟派」という偏見に満ちていた自分としては、バスケをやめて写真部に転向する気にもなれず、「その連中に教えを乞うなどは以ての外」という間違った、つまらぬプライドが邪魔をして、私のカメラマンとしてのキャリアは、わずか5年で幕を下ろしたかに見えた。おかげで、大切にしていた「リコーオートハーフS」もその後行方不明となったままである。今になって、機種名もわからないあの初代の愛機、そして2代目の「リコーオートハーフS」が愛おしくて堪らない。

コニカⅢA購入がよほど嬉しかったとみえて、床屋の鏡に映る己の姿を撮影して喜ぶ若き日の親父

コニカⅢA購入がよほど嬉しかったとみえて、床屋の鏡に映る己の姿を撮影して喜ぶ若き日の親父

お安いのに優れもの Canon EF50mm F1.8 II

CAMERA, JJ | by JJ 2013年7月8日

私が最初に買ったレンズは、Canon EF50mm F1.8 II 。皆さんもご存知のCanon純正単焦点レンズで最も安いレンズです。つくりや質感、そしてAFの音など本当に希望小売価格12,000円(税別)だなと思わせるレンズであるが、デジイチ初心者のJJには大変満足のいくレンズでした。背景がぼかせる!それだけで上手くなった気がしたものです(笑)
今となっては従兄弟にもらわれていきましたが、大切な思い出のレンズでした。

大分の田舎道にて

大分の田舎道にて

リコーオートハーフS

| by 飛びっちょ勘太郎 2013年7月1日

親父がコニカⅢAをいつ頃まで使っていたのかは定かではないが、私が小学校3年生位と思しき写真に、皮ケースに入ったコニカⅢAが確と写っているので、その頃までは間違いなく現役で活躍していたと見られる。しかし、コニカⅢAがテーブルに置いてあるということは、この写真を撮った別のカメラが存在するということで、ひょっとしてそれは、私の初代愛機で写されたものではないかと。一体誰が?弟?いや、彼は今でもこんなに上手くは撮れない。親父だったら自分の愛機を使うのではないか?この場所が一体何処で、誰と何をしに行った時のものなのか?う~ん、写真ってなかなか面白い。

この椅子とテーブルはまるで記憶にない。おそらく家族でどこかに出かけた時のものではないかと。

この椅子とテーブルはまるで記憶にない。おそらく家族でどこかに出かけた時のものではないかと。

小学校5年生になったか、4年生の終わり頃か、親父にねだって新しいカメラを買ってもらった。どこへ行くにもカメラをぶら下げているし、結構それなりに撮れるようになったというありがたいご評価を、親父様からいただけた賜であった。2代目の愛機は「リコーオートハーフ」という機種だった。その名の通りハーフ判であるので、フィルムが倍の枚数撮れる点が、小遣いの少ない自分にとってはこの上なくありがたいものであった。勿論、どうして12枚巻のフィルムで倍の24枚撮れるのか、その真相を突き止めようという野心はさらさら持ち合わせず、只々、倍撮れるということにひたすら感謝する大変素直ないい子であった。さらに、このカメラの特筆すべき点は、自動巻き上げという画期的メカニズムを携えた点にあった。初代愛機は、巻き上げをうっかり忘れた時でも、何の問題もなく写真が写るという代物で、二重写し、三重写しの作品を平気で量産し、フィルムを無駄にしていた。この無駄を撲滅し、尚且つフィルム代半額という快挙をやってのけた「リコー」というメーカー名は「技術のリコー」として、その後永く私の胸に刻まれることとなり、その後の一定期間、私のカメラ選びに大きく影響することとなる。

「リコーオートハーフSE」実はこのカメラ、真の2代目(S)ではなく、10年程前に中古カメラ店@新橋で見つけ、懐かしさのあまり購入したもの(SE)。真の2代目もまた初代愛機同様行方不明となってしまっている。(ゴメンナサイ)

「リコーオートハーフSE」実はこのカメラ、真の2代目(S)ではなく、10年程前に中古カメラ店@新橋で見つけ、懐かしさのあまり購入したもの(SE)。真の2代目もまた初代愛機同様行方不明となってしまっている。(ゴメンナサイ)

ところで、このオートワインダーはどうもゼンマイを動力としていたらしく、カメラの底についた丸いノブを時折ぐりぐりと回してあげる必要があった。つまり、夜店でよく目にしていたシンバルをぶつけ続けるお猿さんと同じようなもので、それが当時カメラとして画期的だったのか、すでに一般的なものであったのかはよく知らないが、とにかく小学校5年生の自分としては、後のα-7000(一眼レフ初のオートフォーカス実用機)誕生に匹敵するほどの衝撃であり、当然そこいら中に見せびらかして回ることとなった。

小学5年生の夏休み 2代目愛機「リコーオートハーフS」による撮影。広島市民球場 巨人vs 広島東洋カープ 試合開始前の練習風景。 この頃私が撮った写真はハーフ判のため全て縦位置。カメラを横に構えるという知恵がなかった。

小学5年生の夏休み 2代目愛機「リコーオートハーフS」による撮影。広島市民球場 巨人vs 広島東洋カープ 試合開始前の練習風景。 この頃私が撮った写真はハーフ判のため全て縦位置。カメラを横に構えるという知恵がなかった。