‘飛びっちょ勘太郎’ カテゴリーのアーカイブ

リコーオートハーフS

| by 飛びっちょ勘太郎 2013年7月1日

親父がコニカⅢAをいつ頃まで使っていたのかは定かではないが、私が小学校3年生位と思しき写真に、皮ケースに入ったコニカⅢAが確と写っているので、その頃までは間違いなく現役で活躍していたと見られる。しかし、コニカⅢAがテーブルに置いてあるということは、この写真を撮った別のカメラが存在するということで、ひょっとしてそれは、私の初代愛機で写されたものではないかと。一体誰が?弟?いや、彼は今でもこんなに上手くは撮れない。親父だったら自分の愛機を使うのではないか?この場所が一体何処で、誰と何をしに行った時のものなのか?う~ん、写真ってなかなか面白い。

この椅子とテーブルはまるで記憶にない。おそらく家族でどこかに出かけた時のものではないかと。

この椅子とテーブルはまるで記憶にない。おそらく家族でどこかに出かけた時のものではないかと。

小学校5年生になったか、4年生の終わり頃か、親父にねだって新しいカメラを買ってもらった。どこへ行くにもカメラをぶら下げているし、結構それなりに撮れるようになったというありがたいご評価を、親父様からいただけた賜であった。2代目の愛機は「リコーオートハーフ」という機種だった。その名の通りハーフ判であるので、フィルムが倍の枚数撮れる点が、小遣いの少ない自分にとってはこの上なくありがたいものであった。勿論、どうして12枚巻のフィルムで倍の24枚撮れるのか、その真相を突き止めようという野心はさらさら持ち合わせず、只々、倍撮れるということにひたすら感謝する大変素直ないい子であった。さらに、このカメラの特筆すべき点は、自動巻き上げという画期的メカニズムを携えた点にあった。初代愛機は、巻き上げをうっかり忘れた時でも、何の問題もなく写真が写るという代物で、二重写し、三重写しの作品を平気で量産し、フィルムを無駄にしていた。この無駄を撲滅し、尚且つフィルム代半額という快挙をやってのけた「リコー」というメーカー名は「技術のリコー」として、その後永く私の胸に刻まれることとなり、その後の一定期間、私のカメラ選びに大きく影響することとなる。

「リコーオートハーフSE」実はこのカメラ、真の2代目(S)ではなく、10年程前に中古カメラ店@新橋で見つけ、懐かしさのあまり購入したもの(SE)。真の2代目もまた初代愛機同様行方不明となってしまっている。(ゴメンナサイ)

「リコーオートハーフSE」実はこのカメラ、真の2代目(S)ではなく、10年程前に中古カメラ店@新橋で見つけ、懐かしさのあまり購入したもの(SE)。真の2代目もまた初代愛機同様行方不明となってしまっている。(ゴメンナサイ)

ところで、このオートワインダーはどうもゼンマイを動力としていたらしく、カメラの底についた丸いノブを時折ぐりぐりと回してあげる必要があった。つまり、夜店でよく目にしていたシンバルをぶつけ続けるお猿さんと同じようなもので、それが当時カメラとして画期的だったのか、すでに一般的なものであったのかはよく知らないが、とにかく小学校5年生の自分としては、後のα-7000(一眼レフ初のオートフォーカス実用機)誕生に匹敵するほどの衝撃であり、当然そこいら中に見せびらかして回ることとなった。

小学5年生の夏休み 2代目愛機「リコーオートハーフS」による撮影。広島市民球場 巨人vs 広島東洋カープ 試合開始前の練習風景。 この頃私が撮った写真はハーフ判のため全て縦位置。カメラを横に構えるという知恵がなかった。

小学5年生の夏休み 2代目愛機「リコーオートハーフS」による撮影。広島市民球場 巨人vs 広島東洋カープ 試合開始前の練習風景。 この頃私が撮った写真はハーフ判のため全て縦位置。カメラを横に構えるという知恵がなかった。

テメェのことはテメェで…

| by 飛びっちょ勘太郎 2013年6月28日

『「コニカⅢA型?」について何かご存じの方いらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。』とは言ったものの、「自分のことは自分で…」とのお袋の教え通り、このカメラについていろいろ調べようと思ったら、ネット上で親切に教えてくれている方がおられた。詳しいことはそちらを見ていただくとして、このカメラは1958年製であることが分かった。つまり、私が3歳の頃。ということは、お袋が言っていた「私の花嫁資金で買ってあげた」という証言は、随分怪しいということになる。まあ、お袋のそこら辺のいい加減さというのは今に始まったことではないので、さらっと聞き流し、深く追及はしないが、akahigeさんやnobrin-7さんのブログにあるカメラとは、レンズ(私のは50ミリf1.8)が違うようだし、シャッターの形状もnobrin-7さんの物とは微妙に違うので、ひょっとしたら別バージョンⅢAだったりして..。と、興味がわいてきたので、さらに調べを進めてみようかと。で、見つけました。「カメラ修理人の徒然草」なるブログ。店主様によると、確かにレンズ違いで2バージョン、48ミリf2バージョンと50ミリf1.8バージョンがあったようで、当時の発売価格まで教えてくれていて、48ミリが¥34,900、50ミリは¥37,000とのこと。さすが親父は高いほうを選んだのか、田舎にはこちらしかなかったのか、今となっては真実は闇の中ではあるが、昭和33年の¥37,000が、当時相当貧乏していた親父、お袋にとっていかに大金であったかは、火を見るより明らかで、確かにお袋の花嫁資金にでも手を付けない限り絶対買えないような代物であったことは間違いなく、若かった当時の二人が大枚叩いてこのカメラを買った日のことを思うと、我ながらとても幸せに感じるのであります。

父と母・・・ ワイルドだろ?

父と母・・・ ワイルドだろ?

親父の形見

| by 飛びっちょ勘太郎 2013年6月23日

私の親父もああ見えて結構カメラは好きだったのではないかと思う。というのは、前回お話ししたように、小学校2年生の息子に、頼まれもしないのにカメラを買い与えてくれたり、5年生になった時には、(この時には、結構お願いもしたが...)小学生にはもったいないような立派なカメラを買ってくれた。このカメラの話はまた別の機会にでもするとして、今日ご紹介するカメラは、私が生まれる前から親父が愛用していた「コニカのⅢA型?」というカメラだ。

コニカⅢA型

コニカⅢA型

当時親父は地方紙の記者をしていて、(地方紙といっても、熊本日日新聞や大分合同新聞のような立派なものを想像してもらっては困る)取材用に良いカメラが欲しかったらしいが、金がないので長年辛抱していたようだ。見かねた私のお袋が、花嫁資金の一部を取り崩して購入し、親父にプレゼントしてくれたものらしい。記憶によると、私が中学生くらいの時には壊れてしまっていて使い物にならなかったが(因みに、ファインダーの接眼窓には罅が入り、レンズは黴びていた)、まだ結婚前のお袋が親父のために嫁入り資金を流用して買ってくれたカメラで、当時24~5歳だった親父が一生懸命仕事していたと思うと、なかなか捨てる気にもなれず、以来四十数年間、私が大切に保管してきた。このカメラが当時いくら位したのか、どれ位のグレードのカメラだったのか、全く知らないが、いずれにしても、当時の二人にとっては、とても高価なものだったに違いない。二人共亡くなってしまった今となっては、「二人の形見」と言ってもいいくらい、私にとってはかけがえのない、大切な大切な宝物なのだ。「コニカⅢA型?」について何かご存じの方いらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。

コニカⅢA型

コニカⅢA型

プロローグ

| by 飛びっちょ勘太郎 2013年6月20日

JJに尻を叩かれ、表面上は嫌々を装いつつ、カメラの話を始めたい。カメラの話というよりも、カメラに纏わる話というべきか。

小学校2年生の時に、別にねだったわけではなく、突然親父がカメラを買い与えてくれた。当時、1,200円であったと記憶している。その頃の小学生(しかも超田舎の...)にとっては高価すぎるおもちゃだった。

「1200円の愛機」で小学校3年生当時広島で撮影した写真。私の従兄(左)と弟。

「1200円の愛機」で小学校3年生当時広島で撮影した写真。私の従兄(左)と弟。

残念ながら、遠い昔に手元から消えて、何というメーカーの何というカメラだったのか、全く不明である。が、次の新しいカメラを買ってもらう小学校5年生まで、そのカメラを愛用し、どこへ行くにも持ち歩いては、拙い写真を撮っていた。確か、12枚撮りのモノクロフィルムで撮影し、歩きで20分位離れた吉田写真館へ持ち込んでは、写真館の親爺さん(先生?)に現像してもらっていた。先生はいろいろと親切に教えてくれた。所謂私の「カメラマン人生のスタート」ってやつですか?

私の初代写真の師匠「吉田写真館の親爺」さん撮影の幼い日の勘太郎。美女に囲まれて緊張の図。(前髪がシャープでしょ)

私の初代写真の師匠「吉田写真館の親爺」さん撮影の幼い日の勘太郎。美女に囲まれて緊張の図。(前髪がシャープでしょ)