‘ミノルタα-9000’ タグのついている投稿

いつの世も、人は自分の望む方に誤解する

| by 飛びっちょ勘太郎 2013年10月10日

仕事でカメラを使い始めた私が最初に遭遇した壁は、手持ちレンズが28~135㎜のズームレンズ一本では、現場の状況次第で被写体が画面に入りきれないことが多々発生したことだ。「仕事に生かすために、もう少しワイドレンズが欲しい」。これが私の大義名分であった。そんなある日、(当時カメラ屋さんがあると、当てもなく店を覘く癖のついていた)私は「カメラの○☓」に立ち寄った。そこで、ミノルタの24~50㎜f4.0という代物を発見した。当時、28~135㎜のサイズと重量に少なからず辟易していた私は、焦点距離はさておき、このレンズのサイズと重量にすっかり魅了された。初めて手にした一眼レフにたまたま装着されていた重くてデカいレンズしか知らず、友人「f」により、「一眼レフってこんなもの」と思い込まされていた私にとって、この24~50㎜f4.0の質素で静かな佇まいは物凄く新鮮なものであった。長い間、何となく自分が思い描いていた「カメラのサイズ感、重量感」であった。このレンズを、愛機α9000に装着し、左肩にぶら下げて歩く己が姿を想像した。しかも、自分にとって一番重要なこと、「安かった」。確か、三万円でおつりがきたのではなかったか?財布を見た。金はあった。私の脳に埋め込まれた電卓はもう計算を始めていた。次の「肥後○▽コン*リ-ト様」のカタログ写真をこいつで物にすれば、レンズ代はすぐに元が取れる」と。別にこのレンズでなくても、従来の28~135㎜で撮った写真で何の問題もないのだが。「このレンズで撮った写真は、きっと素晴らしい写真に違いない」。根拠もなく、すっかり納得する自分がいた。嗚呼、いつの世も「人は自分の望む方に誤解する」のであった・・・。当然、すぐにそのレンズはゲットした。すでに私は沼に片足填まりかけていた。

表向きは、仕事上もっとワイドなレンズが必要ということで買った、24~50㎜f4.0。28~135㎜は値段も結構高く、当時としてはいいレンズであったらしいが、正直私には、写りの違いはよく解らなかった。今なら、単焦点レンズを買うんだろうが、その頃、そういう知恵はなかった。

表向きは、仕事上もっとワイドなレンズが必要ということで買った、24~50㎜f4.0。28~135㎜は値段も結構高く、当時としてはいいレンズであったらしいが、正直私には、写りの違いはよく解らなかった。今なら、単焦点レンズを買うんだろうが、その頃、そういう知恵はなかった。

芸は身を助ける?

| by 飛びっちょ勘太郎 2013年9月27日

「α9000」で第2のカメラマン人生をスタートさせた私であったが、6年を経ても写真技術は一向に向上せず、無為なカメラマン人生を送っていた。仕事柄プロのカメラマンさんとの交流も多く、元来研究熱心な私は、いろいろなことを貪欲に学び取ろうとする姿勢だけは大いに発揮しつつも、なかなか結果を残せずにいた。それでも努力の結果、実績は伴わずとも、一端に知識だけは蓄積していき、加えて、元来備わっている印刷の知識が融合し、次第に「口だけ達者なカメラマン」が出来上がりつつあった。これは、印刷・出版業界の末席を汚す私としては、時に商売上、この上もないメリットを生むことがあった。「手振れ」や「露出」、「被写界深度」もこの頃学んだ。知識が増えると、さすがに撮れる写真も微妙に以前とは変わっていった。少しはましな写真が撮れる確率も微妙に上がり、経済的にも随分助かった。当時はまだデジカメは一般的ではなく、当然私もフィルムを使っていたので、確率が上がったことでフィルム代も現像代もぐんと節約できるようになった。それにも増して私を喜ばせたのは、カメラマンさんに支払う撮影代の節約が可能になったことであった。当時、印刷物を制作する際に必要な写真は、クライアント様から支給される以外は、必ずプロのカメラマンさんにお願いしていた。この費用が半端ではなく、時に撮影代、ン十万円、印刷代、8万円なんてこともあり、まるでカメラマンさんのために営業しているようだと揶揄されることも度々であった。そこで、この現状を打破するために私は決心した。「自分で撮ろう」と。人物や動き物はさすがに無理があるので、端から除外した。さらに、ライティングが必要と思われる物は、機材もノウハウもないのでパスした。マクロレンズは持ってないので、その類もNO。つまり「自然光で撮れる静止物」に限定した。ありがたいことに、その頃私が扱う物件のうち9割近くはこの範疇に属した。これまで、1点2~3万円も要していた撮影代が、1点に対し仮に36枚撮りフィルム1本費やしたとしても、現像代込みで1,500円で収まるようになった。フィルム1本で製品2点撮れれば、1点あたり750円。3点撮れれば、1点当たり500円であった。これは画期的出来事であった。しかも大抵の場合、カメラマンさんからは、撮影料+出張費まで請求されていたので、この差は想像を絶するものであった。「写真を5点程ものにすれば、レンズ1本タダ」くらいの勢いで、私の機材への投資欲は徐々に高まり、やがて終わりのないレンズ沼、ボディ沼へと身を沈めていくことなど、この時の私は知る由もなかった。(つづく)

本日の教訓:皆さん、手振れ防止には三脚を使いましょう。特に静止物には効果絶大。知らず知らずのうちに、フレーミングも慎重になります。

*自分で撮影した写真を使って制作させていただいた印刷物の一部。福岡、小国、八女、菊池、矢部の通潤橋、南関町、菊水町(現和水町)、宮崎、阿蘇的石、甲佐、耶馬溪、山鹿、等々、現場は各所に渡り、通常、出張費だけでも莫大な金額になるところをおおいに節約して、クライアント様にも大変喜んでいただいた。

*自分で撮影した写真を使って制作させていただいた印刷物の一部。福岡、小国、八女、菊池、矢部の通潤橋、南関町、菊水町(現和水町)、宮崎、阿蘇的石、甲佐、耶馬溪、山鹿、等々、現場は各所に渡り、通常、出張費だけでも莫大な金額になるところをおおいに節約して、クライアント様にも大変喜んでいただいた。

手振れにご注意

| by 飛びっちょ勘太郎 2013年9月19日

事実上世界初、オートフォーカス一眼レフカメラ「α9000」をゲットし、「第2のカメラマン人生」をスタートさせた私であったが、悲しいかなカメラの知識も、まして撮影に関する知識は皆無であった。私は、オートフォーカスでカメラがピントを合わせてさえくれれば、どんな場合でもピントの合った、きれいな写真が撮れると信じ込んでいた。「手振れ」も「被写体振れ」も言葉さえ知らなかった。露出の概念も、シャッタースピードも、順光も逆光も意識すらしていなかった。とにかく、カメラがすべてやってくれると信じていた。最初は喜んで使っていたが、何せこれまでの愛機、リコーの「FF-1S」に比べれば、重い、でかい、目立つの三重苦であった。そのうち、できあがってくる写真を見てふと気づいた。「ろくな写真が撮れていない」。「おかしい」と感じた研究熱心な私は、従来の愛機、リコー「FF-1S」で撮った写真と比べてみた。圧倒的に、「FF-1S」で撮った写真のほうが歩留まりがよかった。私は発見した。「このカメラ(α)は壊れている」。私はすぐに友人「f」を呼びこう言った。「すぐに交換しろ」「f」はすぐに機材を引き取ってくれた。そして暫くしてまた私の所へやってきてこう言った。「カメラは、正常だった。おかしいのは、お前の撮り方だ」と。 俄には信じがたい話であったが、同じカメラで「f」が撮った写真を見せられ、且つ、いささか講義を受けて、納得せざるを得なかった。私はその時初めて「手振れ」なるものの存在を学習した。

本日の教訓:皆さん「手振れ」には充分ご注意を!ボケ写真の原因のほとんどは、「手振れ」だそうです。

その頃私がα9000で撮影した写真①

その頃私がα9000で撮影した写真①

その頃私がα9000で撮影した写真②

その頃私がα9000で撮影した写真②

その頃私がα9000で撮影した写真③。ホント、ろくなのがなくてお恥ずかしい。

その頃私がα9000で撮影した写真③。ホント、ろくなのがなくてお恥ずかしい。

ミノルタα-9000

| by 飛びっちょ勘太郎 2013年9月2日

桂浜公園の坂本龍馬像との対面を果たした私は、親父への感謝のしるしに、坂本龍馬像を買い求め、いざ熊本を目指して車を走らせた。前回お話したように、ここで愛機FF-1を壊してしまった私は、やっとカメラ屋さんにたどり着き、4代目愛機、FF-1Sをゲットし、旅を続けることができた。

(左)FF-1とFF-1Sの説明書。2台持っていた証拠。因みに保証書によれば、土佐清水市の「カメラのフタバ」さんで購入していた。(右)不思議とα-9000の説明書も2冊。こちらは別に2台持っているわけではないが、なぜか2冊?ラインの色が違うのは何故?

(左)FF-1とFF-1Sの説明書。2台持っていた証拠。因みに保証書によれば、土佐清水市の「カメラのフタバ」さんで購入していた。(右)不思議とα-9000の説明書も2冊。こちらは別に2台持っているわけではないが、なぜか2冊?ラインの色が違うのは何故?

 

八幡浜から大分・臼杵へ渡った私は、熊本を目指した割には、なぜか南下をはじめ、その日は津久見の怪しげなホテルに泊まった。都城、鹿児島、霧島、人吉を経由し、やっとこさ故郷玉名へ帰り着いたのは、桜咲き誇る3月下旬であった。関係各位の大歓迎(?)を受けた私は、坂本龍馬像のご利益もあり、無事にA社に就職できた。

A社本社の前庭で今日も安全操業を見守る、親父へのお土産、坂本龍馬像

A社本社の前庭で今日も安全操業を見守る、親父へのお土産、坂本龍馬像

 

仕事にも田舎の生活にもぼちぼち慣れてきたある日、カメラ界を揺るがす一大センセーショナルが沸き起こった。オートフォーカス一眼レフカメラ「α-7000」の出現であった。遠いあの日、東京で夢見て、「技術のリコー」の幻想により忘れかけていた、「ピント合わせ不要で、自動巻き上げ」の呪文が蘇った。久々に、カメラへの執着がむらむらと首を持ち上げた。と言って、特段カメラの知識があるわけでもなく、おまけに日本半周旅行でそれまでの蓄えをすべて使い切っていた私には、所謂「先立つもの」が皆無であり、自力調達は不可能であった。もたもたしているうちに、7000に続き「α-9000」が発売された。矢も盾もたまらず、すぐに友人「f」を呼び出し、彼に極秘ミッションを授けた。それは、ミッション・インポッシブル『「α-9000」及び、想定されるアクセサリーをゲットせよ。金に糸目はつけない、が、支払条件は「ある時払いの催促なし」』というものであった。「α-9000・緊急ゲット大作戦」としては、ナイスなアイデアであった。言い忘れたが、友人「f」は、当時富士フィルム関連の職についており、カメラ調達は、言わば「彼の商売の一環」であった。加えて彼は、人が見向きもしないような法外な課題であればあるほど、意地になってその問題をクリアしようとする、特異な性格の人物で、正にこのミッションには最適の友人あった。当然彼は、後先考えず、あっという間にフル装備で調達してきた。まず、レンズを見て驚いた。天狗様の鼻より立派であった。さらに驚くことに、機材一式の中には大仰な別売カメラストラップをはじめ、レリーズ、レンズクリーニングセット、ブロアーに至るまで、あらゆるものが含まれていて、払いのことを思うと、若干背筋が冷えた(幸い、凍りつくまでにはいたらなかったが・・)。「金に糸目はつけない」は余分であった。「f」の一途な性格を見誤った。至極後悔した。まぁ、先のことはともかく、「カメラマン勘太郎、第2の人生のスタート」であった。

大層なカメラバッグに別売ストラップ、スリックのえらい立派な三脚。今では珍しくもないが、当時としては驚きの、単焦点5本分をカバーする4.8倍標準ズーム(28㎜~135㎜F4-4.5マクロ機能付き)。モータードライブMD-90にバッテリーパックBP-90M、リモートコードRC-1000S、プログラムフラッシュ2800AF、etc。正直使い方はよく解らんし、はっきり言って馬の耳に念仏であった。

大層なカメラバッグに別売ストラップ、スリックのえらい立派な三脚。今では珍しくもないが、当時としては驚きの、単焦点5本分をカバーする4.8倍標準ズーム(28㎜~135㎜F4-4.5マクロ機能付き)。モータードライブMD-90にバッテリーパックBP-90M、リモートコードRC-1000S、プログラムフラッシュ2800AF、etc。正直使い方はよく解らんし、はっきり言って馬の耳に念仏であった。

MD-90とBP-90M。5コマ/秒の優れものであったが、重いやら恥かしいやらで、家の中で格好つけて写真撮る時以外はあまり出番はなかった。36枚巻のフィルムが7~8秒で終わってしまうというのも、私の中では大いに不評であった。

MD-90とBP-90M。5コマ/秒の優れものであったが、重いやら恥かしいやらで、家の中で格好つけて写真撮る時以外はあまり出番はなかった。36枚巻のフィルムが7~8秒で終わってしまうというのも、私の中では大いに不評であった。